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ジル・サンダー(Jil SANDER)。1943年、ドイツのハンブルグに生まれる。丸い目のタレ目で小柄な栗色ウェーブヘアの、笑顔のちょっとキュートな女性。クレフェルド・ スクール・オブ・テキスタイル卒業後、テキスタイル・エンジニアの資格を取得。アメリカのカリフォルニア大学に2年間在籍後、ニューヨークで雑誌社に勤務 し、「マッコールズ(McCall's)」、「コンスタンツ」等の女性誌のファッションジャーナリストを経て65年に帰国。
68年、ハンブルクにブティックをオープン。
73年、パリ プレタポルテ・コレクションにデビュー。
80年、パリ・コレクションから撤退。
84年、ゴールドファイル(GOLD PFEIL)とライセンス契約を締結。
85年よりミラノヘ活動の場を移し、
87年ミラノコレクションにデビュー。
1997-1998 A/W より、メンズウェアラインをスタート。
「フランクフルトのアルマーニ」と称され、縫製技術の高さ、シンプル
且つミニマルでシャープな感性が現代女性に受け入れられる。
「プーマ(PUMA)」とコラボレートしたスニーカーも発売。
99年、プラダ(PRADA)が
ジル・サンダーを買収。
プラダグループの総帥であるパトリッツィオ・ベルテッリとの不仲
を主たる理由に、2000-2001 A/W
を最後にデザイナーを辞任。
既に引退を決意していたであろう 2000 S/S
のコレクションは、
それまでのジルとは違い、華やかなデザインが多く出品され、
「鉄の女」と呼ばれた彼女の抵抗を表しているようにも感じられたことで、
好評を博した。
ジルの引退後、後任デザイナーを探すプラダがまず考えたのが、
共にフェンディ(FENDI)を買収したLVMH モエヘネシー・ルイヴィトングループ(LVMH Moët Hennessy Louis Vuitton S.A.)へ協力を求めることであった。同社は、ルイ・ヴィトンにマーク・ジェイコブス(Marc JACOBS)を起用したり、セリーヌ(CELINE)にマイケル・コース(Michael KORS)を抜擢したり、ロエベ(LOEWE)にナルシソ・ロドリゲス(Narciso RODRIGUEZ)を就任させたりとその道のプロだったからである。
そこでプラダは、ジル・サンダー社を手放すかわりに、ルイ・ヴィトンが持っているフェンディの残り半分の株を求めた。つまり、デザイナー不在のジル・サンダー社は全てヴィトンのものになり、カール・ラガーフェルド(KARL LAGERFELD)付きのフェンディはプラダのものになる、ということ。しかし、当然のことながらこれが成立するはずもなく、ジル不在となった後のデザインはプラダのデザインチームが行った。そんな迷えるプラダも、2000年12月に新クリエイティヴ・ディレクターとして、短期間だがグッチ(GUCCI)のデザイン・ディレクターを務めたことがある、パリのセレクトショップ「コレット(Colette)」の元バイヤー、ミラン・ブクミロビッチをどうにか確保。その後、ブクミロビッチが全てのショーと広告キャンペーンを担当した。
2003年5月、ジル・サンダーがデザイナーに復帰。2004 S/S ミラノコレクションよりデザインを手掛けた。
2004年11月、ジルのデザイナーが再び辞任。
2005年7月1日より、ラフ・シモンズ(Raf SIMONS)がメンズウェア及びレディースウェアのクリエイティヴ・ディレクターを務める。
ラフ・シモンズは68年、ベルギーのニールペルトに生まれる。ジェンクの工業デザイン学校で写真やビデオ等を学んだ後、家具のギャラリーで2年間働く。その後、独学で服作りを学び、メンズウェア・デザイナーになる。そして、アントワープ王立芸術アカデミー(Academie Royale des Beaux-Arts d'Anvers / Royal Academy of Fine Arts Antwerp)のファッション学科長リンダ・ロッパに見出され、95年1月、ミラノの展示会でプレゼンテーション形式でコレクションを発表。以降、3シーズンはパリの展示会で発表。1997-1998 A/W より、パリ メンズ プレタポルテ・コレクションに初参加。1999 S/S から 1999-2000 A/W まで、ルッフォ(RUFFO)が展開するルッフォ・リサーチのデザインをヴェロニク・ブランキーノ(Veronique BRANQUINHO)と ともに担当。その後、様々な憶測が飛び交う中、表向きはラフ・シモンズがコレクション活動に飽きたということを理由に、2000-2001 A/W を最後にコレクション活動を休止。半年の休止期間を経た後、2001-2002 A/W からデザイングループを結成し再始動した。2003年11月29日、スイスのルツェルンで行われたコンテンポラリー・デザイナーコンクールでグランプリを 受賞。涙ぐむ姿が感動を呼んだ。デビット・ボウイにインスパイアされた、少年のナイーブさとそこから生み出される力強さをロックを通して表現するという手 法が、活動再開後もラフ・シモンズの人気を支えている。
2006年3月、ロンドンの投資会社であるチェンジ・キャピタル・パートナーズがプラダグループからジル・サンダー社を買収。
2007-2008 A/W より、アクセサリー・コレクションを本格展開。
2008年、アメリカ・ニューヨークのソーホーに旗艦店をオープン。ラフ・シモンズが初めて手掛けたショップであり、総売場面積は約600平方メートル。
2008年10月、1947年9月4日設立の株式会社オンワードホールディングス(ONWARD HOLDINGS Co., Ltd.)に買収される。
2009年、アイウェアメーカーのマーション(Marchon)とグローバルなライセンス契約を締結し、ジル・サンダーのアイウェアを発売。
2009-2010 A/W より、アルビゼッティとライセンス契約を締結し、アンダーウェア及びビーチウェアを発表。アルビゼッティとラフ・シモンズがコラボレートして商品企画を行う。
B1 【BLUE NOTE TOKYO】 ~ブルーノート東京~
TEL 03-5485-0088
青山 ジャズ 青山 ジャズクラブ 青山クラブハウス
東京の夜に、もっと音楽を・・・
JAZZ CAPITAL OF THE WORLD!!
東京、南青山。
階段を降りるとそこは、ジャズを、音楽を愛する人のための空間。
ステージはすぐそこ、手が届きそうな距離で世界のトップ・アーティストたちが
連夜繰り広げる白熱のセッション。魂をゆさぶられるひとときがそこにある。
N.Y.の名門ジャズクラブ"Blue Note"の姉妹店として、
1988年11月にオープン。
東京ならではのシックでモダンな空間で、
ジャズをはじめとする一流のミュージシャンたちによるライヴを、
その季節ならではのこだわりの食材を活かしたフレンチを主体としたお料理、豊富なドリンク、
ワインとともにお愉しみいただける、大人のためのライヴ・
レストラン、BLUE NOTE TOKYO。
東京の夜に、もっと音楽を。
アーティストとオーディエンスのすばらしい出会いを。
BLUE NOTE TOKYOは来年11月、20周年を迎えます。
探検家 高田